地球平和公共ネットワークへ寄せられたメール            

以下のようなメールが、地球平和ネットワークに寄せられました。稲垣先生、山脇先生にも読んでいただき、ホームページに掲載させていただくことにしました。御本人ににも了解をいただきましたので、ここで公開させていただきます。

地球平和公共ネットワークのみなさま、
はじめまして。
自分は、東京のtamaというものです。

実は、最近マスコミのオピニオンに対して、
大変な疑問を感じているので、
メールいたしました。

教育基本法の改悪(改正)問題以来、
国内マスコミは「公共は愛国心に通じる」
という報道ばかりしていて、
自分はそういうマスコミをずっと
疑問におもっていました。
というのも、公共という概念は、かならずしも
愛国心と同一ではなく、国際主義としての公共も
ありうるからです。

しかし、こういう意見は、
なぜか、最近の国内マスコミには一切のりません。
なにか、申し合わせているかのように、
「公共は愛国心と不可分である」という
意見のみを流しているのは、大変不思議です。

そんななかで、稲垣久和さん(理学博士)は、
唯一「国際主義としての公共」という
ものを、マスコミで発言していらっしゃいました。
(朝日新聞の2006年12月4日朝刊の「私の視点」にて)
その稲垣さんが、地球平和公共ネットワークに
参加されているらしいので、
地球平和公共ネットワークに
メールさせていただきました。

稲垣さんと同じ「国際主義としての公共」を
となえていらっしゃる方に、
東大教授の山脇直司さん(哲学博士)
がいらっしゃいます。
『公共哲学とは何か』(ちくま新書)では、
「国際主義としての公共」と同義である
「世界市民的公共」というものについて、
山脇さんがくわしくかかれています。

90年代から現在までの国内マスコミでは、
なぜかこの「世界市民的公共」という概念を
完全にオミットしたまま議論が進行しているのには、
大変な疑問と憤りを感じます。

国連の「世界人権宣言」にも29条などに
公共という言葉があります。
現行の日本国憲法にも、12条と13条で
公共という言葉がつかわれており、
さらには「子どもの権利条約」にも第14条などに
公共という言葉がつかわれています。
これらの事実も、なぜか90年代以降の
日本のマスコミではオミットされることがおおいです。

マスコミはかなり故意に、
この「世界市民的公共」という概念をオミットしており、
おおくの市民に「公共を否定して個人主義にはしる」か
「公共をみとめて愛国心をみとめる」か、
という2者択一しかないと信じ込ませているのは
かなり異常なことではないでしょうか。

本来なら、ここに上記のような
「公共をみとめたうえで愛国心を否定する」という
「世界市民的公共」という選択肢が
くわわらなくてはならないでしょう。

こういう選択肢を市民に提示しないて
ごまかしている今の日本マスコミのやりかたは
ひどすぎやしないでしょうか。
90年代に流行った「公と個の論争」で
おかしな議論を延々とつづけたことに
引っ込みがつかなくなちゃったんでしょうか。

このまま「世界市民的公共」という概念を
おおくの日本の市民がしらされないままでいると、
個人主義に走る市民がふえ、
格差社会は是正されず、
ボランティアに無関心な人たちがふえ、
さらにはボランティアをおこなっている
人たちが「右翼」などと言い掛かりをつけられる
ことになりかねません。

なので、つきましては、今のマスコミに、
「世界市民的公共」という概念についてふれた記事を
目立つように、おおきく掲載するように、
地球平和公共ネットワークのみなさまから、
はたらきかけることはできないでしょうか。
(とくに『アエラ』では「公共は愛国心と不可分」
というような記事が載ることがおおくて、
影響力からしても、大変問題かとおもいます)

あと、この問題について、
自分なりに論文にまとめました。
お時間がありましたら、
是非お読みいただきたくおもいます。
〈公と個の論争への検証〉
http://members.jcom.home.ne.jp/taka0718/koutoko2.html